後藤貞人「死刑事件の審理の在り方」佐藤博史編『シリーズ刑事司法を考える 第2巻 捜査と弁護』(岩波書店,2017)343頁以下

 本論考は著名な刑事弁護人である後藤貞人氏によるものであるが,まず驚いたのが,脚注の多さ・細かさ,すなわち,同氏の文献調査の熱心さである。私も実務に出てからも勉強を続けなければいけないと強く感じさせられた。説得的な論の立て方も見習いたい。

 そして,内容。実際に死刑事件の弁護を経験してきた超一流の刑事弁護人が,死刑事件に関し「現在の法制の下でも可能な審理の在り方を検討」したもの。これまで死刑に関して主に学者の書いた様々な論考等を読んだことのある自分にとっても,実務的に有用な新たな視点・考えを多く与えてくれる内容であった。

 以下,本論考を読んで印象に残った箇所・共感した箇所を適宜抜き出していく。

 

はじめに

(2) 慎重な評議・評決の前に慎重な審理手続がなければならない

特別な刑罰である死刑の適用の可否を決めることになる審理は,最後の評議の段階で慎重なだけでは足りない。同時に,あるいはそれ以上に重要なことは,慎重な検討と検証の対象となるべき事実や資料を適切に集めることのできる特別な審理である。(344頁)

 

一 死刑求刑の明示

(5) 裁判所は検察官に対して「死刑求刑をするか否か」を釈明させることができる

 前記したとおり,検察官の死刑求刑が死刑判決の前提である。死刑求刑事件と無期懲役求刑事件では弁護人の防御活動が根本的に異なるだけでなく,裁判所の証拠採否や審理計画も違ってくる。違ってくる,というよりは違ったものとしなければならないのである。(中略)死刑事件の最大の争点は「死刑選択」がやむを得ないか否かであるから,検察官が公判前整理手続で死刑求刑を明らかにしないのは,最大の争点に関する主張を明らかにしないことになる。(350頁。下線筆者)

 

二 手続の二分

(3) 心理学的知見

 被害者の意見陳述が裁判員の有罪判断を増加させる場合がある,という実験結果は,手続二分論のような刑事裁判の進め方に関する議論にとって無視できないものであるといえよう( 354頁で引用の,伊藤裕司「被害者の意見陳述は裁判員の事実認定に影響を与えるか?」法と心理15巻1号2015年)

(5) 手続二分のシステム 

 立法はされなかったが,現行法の枠内で運用によって手続二分を実現しようとするのが,「手続二分論的運用」である。裁判員裁判を機に,運用上の手続二分について幾つかの具体的な提言がされてきた。(中略)

 杉田は,期日間整理手続には消極的であるほか,上田,四宮の説とはいくつかの相違点があるものの,基本的には三者の構想は似通っている。そして,重要なことは,三者とも,立法論としてではなく運用論としての構想を述べていることである。さらに重要なことは,杉田が構想の域を超えて実践していることである〔杉田宗久「裁判員裁判における手続二分論的運用」『裁判員裁判の理論と実践』(成文堂,2012年)232頁〕。現行法の下でも手続二分論的運用は十分可能であることは疑いをいれない。

 公訴事実の全部または一部に争いのあるすべての裁判員裁判は手続を二分して行われるべきである。(356-357頁。青字変更筆者)

 

三 行為者特性に関する広範な証拠調べの必要性

(3) 被告人の行為者特性を理解した上で,それでも生命を奪うか否かの選択をする

一般情状の中でもとりわけ重要で,かつこれまで不十分にしか調べられていなかったのが,一個人である被告人がどのような人間であるかに関する証拠である。被告人の年齢,前科前歴,被告人の生活史,家庭環境,生活状況等がこれにあたり,ひとくくりに「行為者特性」と言ってもよいだろう。このうち,年齢,前科前歴以外の行為者特性は不十分にしか調べられてこなかった。(363頁)

 (4) 全死刑事件に精神鑑定・情状鑑定が不可欠である

死刑事件のほとんどすべてに,犯行態様の異常性,動機・目的の不可解性,精神病・知能・心身の障害,挙動・応答の不可解性,薬物・アルコール等の影響等のいずれかがみられる。(中略)裁判官,検察官,弁護人に見抜けない心身の異常は少なくない。被告人の生死を分ける選択を委ねられた裁判員・裁判官は,心身の異常の有無を専門家の鑑定によって確認する必要がある。そのため,死刑事件では精神鑑定は不可欠である。(中略)精神鑑定に際して,MRIなどの最新技術で脳の画像を撮影し保存することも必要不可欠である。仮にその時点の医学水準では事理弁識や行動制御能力に結びつく脳の損傷が見つからなくとも,将来,脳科学の発展によって脳の器質的障害が判明する可能性があるからである。(364頁)

死刑事件では,精神医学を基礎にした精神鑑定だけでなく,犯罪心理鑑定も同時に行う必要性が高い。(同頁) 

さらに,上記二つの鑑定に加えて,情状鑑定が不可欠である。(同頁) 

 

四 死刑の執行によって何が起こるかについての証拠調べ

(1) 罪と罰は均衡していなければならない

量刑を決めるにあたって,罪責と刑罰との均衡を考慮しなければならない。刑の量定はその均衡こそが要諦であるとも言える。そのためには,量刑判断者罪責と均衡をとるべき「刑罰」について理解していることが当然の前提となる。そうでなければ,均衡しているか否かを正しく判断できるはずがないからである。(366頁)

(2) 裁判員にはどのような情報が必要か

死刑が「被告人の生命を剥奪する」刑であると抽象的に理解するだけでは足りない(367頁)

 生命刑(死刑)にも,絞首刑,断頭刑,斬殺刑,銃殺刑,電気殺刑,薬殺刑等がある。死刑選択が問題となったときに,量刑判断者が,薬殺であれば被告人の罪責と均衡はとれるが,斬殺であれば均衡がとれない,と考えることはありうる。そうすると,「死刑」判決によって,その被告人がどのようにして生命を剥奪されるのかを理解しないでは,罪刑の均衡を正しく考慮できないことになる。

 それでは,裁判員は「死刑は,刑事施設内において,絞首して執行する」(刑法11条1項)と理解すれば足りるだろうか。(中略)量刑判断者が,死刑=断頭刑であれば死刑を選択しないが死刑=薬殺刑であれば死刑を選択することがありうるのと同じように,「絞首刑」の執行方法が分かれば,そのような方法で生命を剥奪するのは罪責と均衡しないと判断することがありうる。(368頁) 

 (3) 絞首刑に関する情報と裁判員

 国・法務省は,死刑の執行に関する情報を徹底的に秘匿している。裁判所の公務所照会に対しても,これを拒否する程である。

 このようなわが国の現在の状況に鑑みれば,裁判官も死刑(絞首刑)の内容・執行の具体的状況を説明しうるだけの情報を有しているとは考えられない。これでは,裁判員に正しく伝えられるはずがない。(369頁)

 (4) 絞首刑の実態に関する事実は死刑事件における立証の対象になる

 立法事実は,証拠により認定されるべき過去に一回限り起こった特定事実である司法事実と異なり,裁判官が独自に収集調査して法律問題として判断すれば足りるとされる。行刑に関する事実も裁判官がいわば教養として持っているべき知識であり,知識として持っていなくとも,職権調査すべき事実とされ,立証の対象とならないとされてきた。

 (中略)しかし立法事実が常に裁判所によって適切に収集,調査できるとは限らない。「裁判官の訴訟外の探知にも実際上制約があることや立法事実に関する資料を当事者の弁論にさらす必要性から,立法事実の探知を証拠調べの手続に則って行うことが許されないとは考えられない」〔石井一正『刑事実務証拠法第五版』判例タイムズ社2011年276-277頁〕。(中略)

 行刑に関する事実も同じである。(中略)裁判官は自らが言い渡す判決によって被告人がどのような処遇を受けるかを知っていることが前提とされてきた。(中略)しかし,実は,正確な知識を持っていない裁判官も少なくなかった。そのために,前記の『刑事施設と更生保護の実情について』〔筆者注:最高裁事務総局刑事局『刑事施設と更生保護の実情について』(平成22年3月改訂版)〕が必要となり作成された。だが一方,『絞首刑執行の実情について』という冊子は未だに書かれていない。 (369-370頁)

当事者は,「刑事施設内において,絞首して執行する」わが国の死刑によって,受刑者の身体にどのようなことが起きるか,起きないかを立証することができる。そしてそのような死刑との間で,罪刑の均衡が保たれていると確信できるか否かを,量刑を決定する裁判員・裁判官に問うことができると解すべきである。(371頁)